江戸ウォーキング26 渡し舟が残る江戸川と庶民に愛される柴又帝釈天

私生まれも育ちも葛飾柴又、、、で始まる男はつらいよの寅さんの像が建つ、柴又駅スタート。

帝釈天参道。
男はつらいよそのままの団子屋が軒を並べる。実際の撮影にも使われたというお店もある。

柴又帝釈天で知られる経栄山題経寺。
寛永年間に禅那院日忠上人により開山。帝釈天の板本尊があるとされていたが、所在が不明に。当山第九代日敬上人の代に安政八年に本堂修理の際、一枚の板本尊が発見された。上人はこの板本尊を背負って天明の飢饉、疫病に苦しむ江戸の民に拝ませ、不思議なご利益を授けたというそうな。

法華経説話彫刻(彫刻ギャラリー)。
法華経の説話を元に当時の名人により彫られた彫刻が帝釈堂を取り囲む。以前は金網で囲う程度で風雨に晒されていたが、今は手厚く保護されている。この彫刻は凄い。何で建物の内側じゃなくて外側に設置したんだと言う程凄い。外からも見えるているが、拝観料納めて中で見てほしい。

葛飾柴又寅さん記念館。セットや小道具が置かれている。緑背景の合成写真で寅さんと写真が撮れる。1枚500円だった。
向かいに山田洋治ミュージアムがある。フィルムというのは始まる前のワクワク感があるなあ。

江戸川に出る。

江戸川からの主水口。

すぐ近くにもう一つ取水口。この2つがフル稼働したら合計で毎秒17.5立方メートル取水できる。

葛西神社。
後鳥羽天皇の時代、元暦年間(1184~1185)に地元の豪族葛西三郎清重が源義経に味方し源平の戦に参加、勝利を得て神恩報謝の念を以って葛西三十三郷の総鎮守として開創。

半田稲荷神社神泉遺構。
半田稲荷神社は新編武蔵風土記稿では和銅四年(711)、社伝では12世紀初期の創立となっている。
江戸中期には麻疹や疱瘡よけ、安産に霊験ありとされ、麻疹や疱瘡を防ぐ色とされた赤色の衣装を着た願人坊主が歌い踊りながらお札を売り歩いた。神泉遺構は願人坊主が水垢離を行った場所である。

汚水管と雨水管が並ぶ。入口分かれてるし共同溝ではないんだろうな。一度敷設するとなかなか更新が難しい。

水元公園は鳥が多い。

ヨーロッパの水路のようだ。

葛飾区金魚展示場。
周囲を金網で囲まれ、空はネットで覆われている。外敵の侵入を許すととても恐ろしいことになる。出入りの際はあたりに注意し、扉を閉めるのを忘れないようにしよう。必ずだ。

仲良し。

華やか。

橋の向こうは緩衝地帯を抜けて埼玉県に至る。

埼玉県側の県境監視小屋。ではなく観察舎。水辺の生き物の。

完全に晴れている日に来たい水元公園。写真左側は厚い雲で暗い。

??
なんでこの形にしたんだ。

しばられ地蔵。
天台宗業平山東泉寺南蔵院は貞和四年(1348)開創。
しばられ地蔵は祈願の際に荒縄を巻き、成就すると解くとなっている。お地蔵様が解き放たれる日が来るのか。今日も我々を見守ってくださる。

JR金町駅でゴール。

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