駅ハイ 想い出の西寒川駅・寒川支線跡を訪ねる寒川歴史散歩

駅ハイ 想い出の西寒川駅・寒川支線跡を訪ねる寒川歴史散歩

寒川駅


寒川町観光協会スタート。

七堂伽藍跡


7世紀前半から9世紀後半にかけて寺院があったそうだ。昭和32年(1957)に石碑を建立。下寺尾官衙遺跡群の一部(下寺尾廃寺)として国の史跡に指定。

下寺尾官衙遺跡群


約1300年前の遺跡群で相模国高座郡の郡役所があった。郡役所跡を中心に、茅ヶ崎市の西方遺跡や七堂伽藍、寒川町の大曲五反田遺跡、岡田南河内遺跡などからなる下寺尾官衙遺跡群は平成27年(2015)3月10日、国の遺跡に指定された。

さむかわマンホール


町の花はすいせん

高安善塚


海老名の国分尼寺から派遣された美人の若い尼さんが海円院(七堂伽藍)の堂守をしていたが、伽藍の輝きで魚が取れずに困っていた漁師を助けたい一心で伽藍に火をつけてしまい、火刑になった。この尼さんを供養した美女塚があったが、荒廃甚だしく有志によってこの地に移された。美女塚とか、漁に害なすほど光り輝くお堂とか、火をつけてしまう尼さんとか、全体的に過激な話だなあ。

景観寺


景観寺本尊は室町時代制作と推定される十一面観世音菩薩立像で、町指定重要文化財に指定されている。それも指定第一号である。

一之宮八幡大神


元禄十年(1697)創建と伝わるが、梶原景時が館の鬼門除に作った説がある。

妙光寺


2017年に新しい本堂が落成した。境内には高安善塚の供養碑が安置されている。

寒川町南部教育発祥の地


思いもよらないところで発祥の地の碑を見つけた。

梶原景時館址


梶原景時は治承五年(1181)、源頼朝の家臣となり、一之宮の地に館を構えた。一之宮八幡大神の始まりが館の鬼門除けとするなら創建が500年ほどさかのぼることになる。

薄型信号機


雪国仕様のフラットタイプと少し違う感じだ。今までの信号機はサイズがあるので見つけやすいが、これだけコンパクトだと周りに溶け込んでとっさの認識が難しい、と素人目には感じるが、メーカーや役所が知恵絞って認識率や事故率なんかも調査しているはずだよな。でもLED信号機は雪国であんなことになったしな。。。人頼みだけどテレビで特集してくれないかなー。

八角広場(旧国鉄西寒川駅跡)


相模線西寒川駅跡地の広場で、八角形の噴水があることから名付けられた。線路跡がある。駅ハイのWebサイトには線路跡に集まる猫たちだったが、1匹も見かけなかった。

一之宮緑道(旧国鉄相模線寒川支線跡)


相模線寒川支線の線路跡に作られた緑道。一之宮公園のあたりに200mほどにわたって線路が残る。

ベンチ


頻繁に利用されていないからこそこうした雰囲気のあるベンチになる。

水童(みずわらべ)


水道記念館前の頭から水を吹くカッパの像。

西善院


神仏分離令で寒川神社から独立した。境内にある握手大師像と握手することで弘法大師様とご縁を結ぶことができる。

寒川神社


相模国一之宮国弊中社寒川神社。寒川比古命、寒川比女命を祀る。延喜式神名帳に名神大社と記載されている。

さざれ石


学名「石灰質角礫岩」。「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむずまで」は古今和歌集に収められた和歌で、ここで読まれているさざれ石。さざれ石は細石と書き、小さい石のことだ。石灰が溶けて鍾乳石に凝固していく仕組みと同じ働きで、小石を凝結しながら成長して行く様を巌となりてと言っている。今ではさざれ石と言えばこの固まった方のことも指してもいる。

ファーマーズマーケット わいわい市


JAさがみの直売所。この後、寒川総合図書館・文書館で寒川地区の航空写真や昔の鉄道駅舎写真を見学した。そして、寒川駅まで戻ってゴール。