江戸ウォーキング20 隅田川を行きつ戻りつ江戸のおもかげを探し歩く

浅草駅スタート。
人力車は軽車両だそうな。一頭立ての馬車がこのくらいの大きさだろうか。

駒形堂。
浅草寺縁起によると創建は朱雀天皇の天慶五年(942)、建立者は安房守平公雅。関東大震災で焼失したが、平成15年に再建された。

蔵前神社。
五代将軍徳川綱吉が元禄六年(1693)に山城国男山の石清水八幡宮を勧請したのが始まりである。宝暦七年から70年の間に23回の勧進相撲を行っており、相撲とも縁が深い。

文政七年(1824)に行われた奉納力持を描いた歌川國安の錦絵を碑にしたものが置かれている。当時は素人の力持ちを称える文化があったそうだ。

古典落語ゆかりの神社でもあり、人間になった白い犬が奉公先で巻き起こす珍騒動、、、「元犬」の像もある。

厩橋際公衆トイレは平成4年度まちかど賞を受賞している。

首都高大渋滞。日暮れ頃にはすいていた。

横網町公園。

東京都慰霊堂で戦災と災害で犠牲となった人々へ祈りをささげよう。関東大震災では横網町公園として工事中だった陸軍被服廠跡に避難する人々が持ってきた家財道具が燃え草となって被害が拡大した。四谷の消防博物館では家財道具持って逃げると危ない、ということを学ぶことができる。

鳥越神社。
日本武尊が御祭神で、東国平定の際に当時の白鳥村に滞在したというころから、白雉二年(651)、村民が威徳を偲んで創建創建。以来、平成29年で1366年になるが、移転することなく現代に至る。鳥越神社は徳川家康を合祀している。もとは蔵前付近にあった松平神社が家康を祀っていたが、関東大震災で焼失したため大正十四年に合祀されたので、徳川家ゆかりというものではない。

第六天榊神社。
御祭神は榊皇大神、ご鎮座は「景行天皇御宇四十年 日本武尊 御創祀」、1900年前か、、、神話の時代だ。

三人寄れば文殊の知恵。。。しかしあの青い奴がとぼけ顔で和を乱す。

郡代屋敷跡。
江戸時代に関東の幕府直轄領で年貢の徴収や治水、訴訟を扱った関東郡代の役宅があった。関東郡代は寛永十九年(1643)に関東諸代官の統括を命じられたことにより始まったとされ、伊奈家が世襲していたがやがて勘定奉行の兼任となり、文化三年に関東郡代制が正式に廃止。その後も江戸の人々は郡代屋敷と呼んでいた。

旧跡両国広小路。
明暦の大火(1657)で逃げ場がなく犠牲者が多数出たことを教訓に、対岸に渡るために両国橋か架けられ、火除け地として設けられた土地が両国広小路となった、とある。

両国駅でゴール。