駅ハイ 水の街新宿から神田川・善福寺川沿いを歩く

駅ハイ公式のコース案内タイトル画像になっている東京水道発祥の地は工事で見れないのは、受付後にコースマップを見て初めて知った。マップに書くくらいならWebにも書いておいてほしかった。。。いや、紙のマップは更新できて、Webは更新できないんだから、なにか制作会社との契約上の制約があるのかもしれない。

新宿駅スタート。

常円寺。
新宿の超高層ビル群のすぐ隣に建つ。安土桃山時代に現在地に移転してきたとされるが、まさか近隣にこんなビル群が建つとは思ってもみなかったことでしょう。

東京水道発祥の地は最初に書いた通り工事中で見学できない。新宿住友ビルは大規模改修工事に入った。解体工事のお知らせでは平成29年10月10日までとあるが、労災保険関係成立表は平成28年12月31日(過ぎてる?)まで、道路占用使用許可証は平成29年3月31日までの掲示があるので、外周部分は早めに見れるようになるかもしれない。ただ、期間は工期によって更新されるので、のんびり待とう。

十二社(じゅうにそう)熊野神社は室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者鈴木九郎が故郷の紀州熊野の十二所権現をうつし祀ったものと伝えられ、このあたりは十二社と呼ばれるようになった。
中央左が十二社の碑(嘉永四年(1851)、新宿区指定史跡)。右は熊野神社纏石碑(平成七年)。

豚にとっては危機的状況だが、カバにとってはチャンスという物事の多面性、そして弱肉強食の自然世界の厳しさをを表している。3匹で仲良く遊んでいるだって?そんなことはない。見てくれ、あの豚の悲しみの目を。

芸能花伝舎。
公益社団法人日本芸能実演家団体協議会が運営する稽古、イベント、撮影などの貸しスペース、イベント開催などの文化拠点。1997年閉校の旧淀橋第三小学校跡地を再利用し、2005年に開設された。

淀橋。
新宿区と中野区の境の神田川にかかる橋。この橋は旧橋の親柱を再利用して平成17年2月竣工した。手前の親柱には「大正十三年十二月成」と彫られている。

ここは神田川。川沿いに遡上を始める。

成願寺。
十二社熊野神社を建てた中野長者鈴木九郎が建てた。鈴木九郎は一開拓者からたいへんな努力によって長者の地位を築いたが、一人娘の小笹を病気で亡くしてしまった。小笹を供養するために正観寺を建て、寛永五年(1628)に現在地の旧九郎邸に移転、願い成ったとして成願寺と改称された。

神田川と都庁。

節電への協力のため、販売を休止しているそうだ。汚れてないので掃除はしてるんだろうな。

神田川(奥)と善福寺川(手前)の合流地点。善福寺川は神田川水系に属する。ここから善福寺川沿いに歩く。

東円寺。
真言宗豊山派の寺で天正元年(1573)創建、薬師如来像を本尊とする。江戸三十三観音の第十九番札所である。

善福寺川取水施設。
上水道のための取水ではなく、洪水を貯留するための取水施設である。神田川の洪水24万㎥、妙正寺川、善福寺川の洪水30万㎥を取水、貯留する「神田川・環状七号線地下調節池」の一部。

杉並区立郷土博物館。
入館料100円。杉並区ももちろん石器や土器が出土している。

都立和田堀公園。
元々地盤が低く河川氾濫などで池ができやすい地形だったが、昭和30年代の河川改修で和田堀池を中心に公園を整備した。

大宮八幡宮。
天喜年間(1053~1057)、鎮守府将軍源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で戦勝祈願し、平定後の康平六年(1063)、京都石清水八幡宮の八幡大神を勧請し創建された。神社本庁別表神社。
タイトル画像は大宮八幡宮の14個の力石。

都立善福寺川緑地。
この緑地は敷地広く、立派な木も多いんだが、なぜだろう、あか抜けない感が漂う。

さくらがきれいだろうなあ。大宮八幡桜まつりから善福寺川桜見物も悪くないな。

思い出ベンチに区が申し込むか。。。都立緑地に区民のためにベンチを設置する目的で、都と協議するより思い出ベンチの手続きにのっかった方が効率的なのかも。

うーん、さむそう。

角川庭園・幻戯山房。開館時間に間に合わなかった。

荻窪駅でゴール。駅ハイで訪れた中野、三鷹、荻窪と中央・総武線付近の開拓が進む。