駅ハイ 高輪歴史探訪 ~坂と寺社を訪ねて~

坂を上り下りする今回のウォーキングは品川駅をスタートする。
京急の赤い看板は 2009年6月 には既にくりぃむしちゅーになっていた。

坂はまとめてご紹介その1。
左上:柘榴坂(ざくろざか)。名前の由来は不明。
右上:高輪公園。酒井邸から昭和36年11月東京都交通局の所有、昭和45年10月港区が買収し、昭和47年7月、港区立高輪公園として開園、と案内板にあるが、酒井邸が謎。説明と一緒に書かれた江戸時代の地図では現公園地に「堂宇」と書かれている。
左下:洞坂(ほらざか)。法螺坂とも鯔坂とも書く。付近を洞村と言い、ほら貝が出た、くぼ地だから洞と言った、など諸説入り乱れる坂。
右下:天神坂。昔、坂の南側に菅原道真の祠があったことに由来する。

昭和28年開業のグランドプリンスホテル高輪。

東禅寺。
慶長十五年(1610)開創、寛永十三年(1636)に高輪に移転。臨済宗妙心寺派。安政六年(1859)に初代英国公使ラザフォード・オールコックの宿所となり、7年間使用された。その間、襲撃事件が2回発生。幕末のごたごた期で公使館に使用されたことにともなって檀家の有力大名家が離れ、後ろ盾をなくす。2010年に国の史跡に指定された。

高野山東京別院。慶長年間に高野山の江戸在番所として開創。

高輪消防署二本榎出張所。
昭和8年築で現役の消防署である。泰一次世界大戦後の近代的なドイツ表現主義という建築様式らしい。東京都選定歴史的建造物。海抜25mで建築当時はほかに高い建物もなく東京湾まで見渡せた。三階から上の望楼は昭和46年まで火災の見張りに使われた。

最正山 清正公 覚林寺。せいしょうこうと読む。加藤清正のことだそうな。寛永八年(1631)、日延上人が開創と同時に清正公を祀った。清正公堂と山門は港区指定有形文化財。

とらや。ウィキペディア情報ではあの有名なとらやとは無関係で、すでに閉店しているという話らしい。

曹洞宗泰龍山保安寺。
慶長十二年(1607)開創。階段の参道や境内の庭がよい雰囲気だ。

大石良雄外十六人忠烈の跡。大石良雄は大石内蔵助の事だ。吉良邸襲撃の後、肥後熊本藩細川家に預けられた大石内蔵助と仲間16人が自刃した。数メートル四方がコンクリ塀で囲まれているが、中には特に何もない。

旧細川邸のシイ。
どっしりとした本体から新たな幹が力強く伸びる。

がいこつっぽい?

歯科医学教育発祥之地。

坂はまとめてご紹介その2。
左上:伊皿子坂(いさらござか)。泉岳寺に続く道。左の黒っぽい車、道の中央に向けて頭を突っ込んだ形で駐車している。最近は歩道でも車の突入があるので気を付けよう。
右上:魚籃坂(ぎょらんざか)。伊皿子坂を登り切った反対の坂。坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるため、名付けられた。
左下:幽霊坂(ゆうれいざか)。両側に寺院が並び、もの寂しいことからという説や初代文部大臣森有礼の家があって有礼坂という説がある。幽霊坂は都内に7か所ほどあるそうだ。
右下:聖坂(ひじりざか)。古代中世の通行路で商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿舎もあったため。

国指定史跡高輪大木戸跡。

稲荷神社。
泉岳寺に来るたびに気になっていたのでお参りしてみたが、石柱にも稲荷神社としか彫られていなかった。由緒等不明。

泉岳寺。境内から山門を撮影する。

京浜急行電鉄本社。えーと、横浜みなとみらいへの本社移転は、、、2019年秋の稼働を目指し、か。工事は始まっているのかな。

高輪神社。室町中期の創建で、高輪一帯の総鎮守。のぼりに見られるように様々なご利益を謳う。

品川駅に到着してゴール。