神田川はやたらと堀が深い。そんな神田川沿いを歩く事になった。
タイトル画像は小石川後楽園から円月橋。
飯田橋駅からスタート。

コースマップの見どころポイントは船河原橋になっているが、手前が船河原橋で奥が飯田橋。かつては二つの橋でカギ形をなし、江戸図にも描かれていた、、、とあるが橋でカギ形ってどんなかたちだろう?

都立小石川後楽園。
徳川御三家の内、水戸家の祖徳川頼房が造り、二代目藩主光圀も本園の築庭に力を注いた。光圀当時、隣国明の遺臣で我が国に亡命していた朱舜水の意見を用いて中国風を取り入れ、今見るような庭になっている。後楽園の名も光圀が朱舜水に命じて名付けた。
大正12年3月に国の史跡名勝、昭和27年3月に文化財保護法の下、特別史跡および特別名勝に指定。

穏やかならぬ視線を感じる亀。

梅林は少し早かったかな。日当たりいいところの梅はよく咲いてた。

庭園

屏風岩。いい石だ。今日見た石の中で一番のお気に入りだ。

名は石橋と言う。
橋本体と護岸の復旧工事だそうな。
鉄骨見えてるけど、今は耐震性も必要だし、大勢の人が渡るんだから補強も必要だ。歴史ある石オンリーの文化財構造物と現代的災害対策の両立の悩ましいところ。

後楽橋。昭和2年11月2日に架設された関東大震災の復興事業の一つ。

東京都水道歴史館。水道橋の由来は江戸時代に神田川を渡すかけ樋があったことと言われているが、懸樋の作り方や仕組みを学べるのがこの施設。江戸時代のみならず、明治から現代に発展してきた水道管も見ることができる。2Fが江戸時代、1Fが近代。

ドクターヘリか。ドクターヘリは医療スタッフと機器を現地に送り込むのが主任務のものを言うようで、患者輸送主体のものとは違うようです。輸送費の扱いが気になるところ。

昌平橋。元は相生橋、芋洗橋などと呼ばれていたが、湯島聖堂(昌平坂学問所)建設時に孔子誕生地の昌平郷にちなんで昌平橋と改名された。明治維新後に相生橋に改められたが、明治6年に大洪水で落橋、明治32年の再架橋で昌平橋となった。現在の橋は昭和3年に架設。

マーチエキュート神田万世橋。

神田ふれあい橋。こんなところに橋があるなんて気づかなかった。。。もともと新幹線工事用の橋だったが、地元の要望により、工事完了後も残された。平成元年4月から歩道橋として利用されている。

眠る猫。

浅草橋。この橋も神田川に架かっている。江戸時代初期から奥州街道に通じる主要交通路だった。

柳橋。神田川から隅田川に流れ込む場所のため川口出口之橋という名だったが、川のほとりに柳が植えられていたことから柳橋と呼ばれるようになったという。

両国橋。中央区日本橋と墨田区領国を結ぶ隅田川に架かる橋。関東大震災の復興事業の一つで再建。両国橋の被災した3連トラスの中央部分が江戸ウォーキング03で書いた南高橋に再利用された、という話につながる。

与兵衛鮨発祥の地。
大阪の押し寿司がメインだったが、文政のはじめに小泉与兵衛(華屋與兵衛)が鮮度を保ち、手で素早く握る江戸握りずしとして大成したとされる。江戸の鮨発祥はいくつかの説があるが。和食レストラン華屋与兵衛はこの華屋與兵衛から来ていると言っている人がいたが、Webサイト見てみただけではよくわからなかった。簡単に重複する名前でもないしまあそうだろうな。

隅田川テラス。隅田川両岸に沿って整備された親水テラス。伊勢湾台風の時の潮位記録+5.02mが壁に書かれていて堤防はそれより高いんだけど、潮位が+5mて防ぎようがない程の高さでしょう。というかコンクリ堤防で事が済むならスーパー堤防にする意味もないよな。。。このへんがよくわからない。色々興味がわくところだ。

両国国技館 。日本は公に国技という取り決めはないので、相撲協会が国技館と名乗っているに過ぎない。NHKがあれだけ相撲放送してればなにかあるとおもっちゃうけど。
両国駅でゴール。駅名も番付書体な漢字で書かてれいるものがあったよ。
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