王子駅スタート。

創業明治二十二年(1889)、エッフェル塔と同い年のベーカリー明治堂。右側の階段のところにMEIJIDO BLD.と書かれている。自社ビルか。

装束稲荷神社。
毎年十二月の晦日の夜、関東八ヶ国の稲荷の使いが王子稲荷神社参拝の前に、この場所にあった榎の下で装束を整えた、と言うのが名前の由来である。この装束榎は昭和四年に道路拡幅のために切り倒されたが、のちに装束稲荷神社が設けられ、平成五年(1993)には地元の人々によって狐火の伝承を再現しようと王子稲荷まで練り歩く「狐の行列」が始められた。

北区の産業と文化の拠点「北とぴあ」の展望ロビーより。

鉄道もこれだけの幅があると結果的に防火帯の役割も担っていそうだ。

はやぶさとこまちの連結がすれ違うさまを撮影できたのは運がよかった。

王子稲荷神社。

北区立名主の滝公園。
地元の名主である畑野孫八が江戸末期の嘉永年間(1848~1854)に造園。

園内には男滝、女滝、独鈷の滝、湧玉の滝の4つの滝がある。この男滝だけ滝らしく水が流れていた。

風雨からの守りが弱めの公衆電話。

北区立中央図書館(赤レンガ図書館)。
大正八年(1919)築の赤レンガ倉庫を改装・増築し、平成二十年に図書館がオープン。

音無さくら緑地。

醸造試験所跡地公園
明治37年に酒類醸造の技術向上、発展を目的に大蔵省醸造試験所が設けられた。公園はその跡地の一部である。写真の旧醸造試験所第一工場(赤煉瓦酒造工場)は清酒醸造試験に使われていた。平成二十六年、国の重要文化財に指定。

音無親水公園は橋の下を写す構図が一番印象的かな。

王子神社。
元亨二年(1322)、豊島郡を支配する豊島氏が紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになった。江戸時代には徳川家康から社領200石の寄進を受けたが、これは王子村の村高の三分の二という破格の扱いで、その後も歴代将軍が社殿の造営や修繕を行うなど将軍家と縁の強い神社だった。ここでもう一つ有名なのが次の、、、

関神社である。蝉丸法師を御祭神とする理容業者により信仰される全国でも珍しい祖神、とのことだ。琵琶の名手で有名、音曲諸芸道の神とされる蝉丸法師だが、逆髪で悩む姉のため「かもじ・かつら」を考案し、髪を整える工夫をしたころから神の祖神としても敬われるようになった。滋賀県大津の逢坂山にある関蝉丸神社に祀られているが、江戸時代に王子神社に奉斎したのがこの関神社の始まりである。
左の毛塚は釈尊が祇園精舎に入ったとき、貧女が髪を切り、油に変えて献じた光が強烈な風にも消えずに輝いたことから、その真心の一灯として尊いものであり、これが毛髪最古の歴史と言うことで、毛髪業者が昭和三十六年に毛髪報恩と供養のために建立した。髪は、大切にしないと、、、と、そっと髪をなでるのであった。

信号待ちの都電と横断する人々。

飛鳥山には紙の博物館、飛鳥山博物館、渋沢史料館がチェックポイントになっているが、いずれゆっくり見て回るということで通過する。各館300円だが三館共通券なら720円だそうな。有効期限は発行から三か月だが1日で回れば問題ない。
東京高等蚕糸学校発祥之地。
明治十九年十月 麹町内山下町より移設 農商務省蚕病試験場に始まり、農商務省蚕業講習所、文部省に移管され東京高等蚕糸学校、小金井市への移転、東京繊維専門学校を経て、昭和二十四年、東京農工大学となった。

コースにはなっていないが旧古河庭園まで足を延ばす。

庭園マップには「茶室」とだけ書かれている。特定の名前を付けないのも一つのあり方ではないかと思った。

平塚亭。
浅見光彦シリーズで有名とのことだ。たまたま何作か見た2時間ドラマ「おかしな刑事」シリーズでは、ここに赤い長椅子が置かれ、団子でお茶するのが定番のシーンだった。

平塚神社。平安後期創立と言われる。奥州征伐の凱旋途中に訪れた源義家が領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜した。近義はその鎧を正常な地に埋め、塚を築き、自分の城の鎮守とした。塚は甲冑塚と呼ばれたが、高さがなく平塚とも呼ばれた。近義はさらに社殿を建て、源頼家、義綱、義光を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願った。

上中里駅でゴール。

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