駅ハイ こくぶんじの恋と歴史と文化をめぐる春の探訪

駅ハイ こくぶんじの恋と歴史と文化をめぐる春の探訪

JR国分寺駅開業130周年記念の駅ハイ。タイトルのこくぶんじ(ひらがな)はコース正式名だ。

cocobunjiプラザ


cocobunjiプラザ WEST 5Fで受付する。写真は同じフロアの屋外広場。

恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡


遺跡は約4000年前のものだが、この写真のものは都営アパート建設に伴い発見された遺跡を復元した模型である。床に平らな河原石を敷き、入口となる長い張り出し部を持っていることが丸い鏡に長方形の柄を付けた柄鏡に似た形をしていることから名付けられている。

姿見の池


鎌倉時代の遊女が鏡代わりに池に姿を映していたというのが名前の由来。遊女の夙妻太夫(あさづまだゆう)が鎌倉武士の畠山重忠と恋に落ちたが、太夫に熱を上げるもう一人の男が重忠が戦で命を落としたと嘘をついてあきらめさせようとしたところ、重忠を慕ってこの池に身を投げたという恋ヶ窪伝説があるそうな。国分寺市のHPによると昭和に埋め立てられたが、緑地保全地区として整備されたのだそうだ。

西国分寺駅


地図で見ると直進している中央線もわずかに曲がりがあることがわかる。

東山道武蔵路跡


東山道は大化の改新(645年)後に整備された五畿七道の一つで、この道も整備されたものだが、771年の再整備に伴い、道の役割を終え、次第に道自体廃れていった。近代の発掘調査で幅の広い道があったことがわかり、写真のように整備された。

年季の入ったシーソー


タイヤで着地衝撃を緩和する昔ながらのシーソー。なぜ片方だけなのか、なぜ中央に位置していないのか、なぞが謎を呼ぶ。。。

国分寺薬師堂


薬師堂に安置されている木造薬師如来坐像は平安時代末期または鎌倉時代初期のものと考えられる。

国史跡武蔵国分寺跡


平成31年3月に市立歴史公園として開園した。昔から確保されていないとなかなかないこの広さとこなれた感があるが最近のことなんだな。。。

お鷹の道・真姿の池湧水群


江戸時代に尾張徳川家の御鷹場だったころからお鷹の道と名付けられた。真姿の池は平安時代の美女 玉造小町が重病で薬師如来に祈り、池の水で身を清めるともとの美しい姿に戻ったことからである。

直撃シーソー


シーソーの両端が地面に直撃する。衝撃を緩和するには自らの足腰でふんばり、耐えるしかない。一見無茶にみえるこうしたものが子供の足腰鍛えるんじゃないかと思う次第です。子供は飛び上がる方も着地する方も全力でやりますからね。

不動橋・石橋供養塔


左隣に目立つ庚申塔と不動明王碑があって、木に埋もれたこの石板が供養塔だということにかなり迷った。

ロケットデザインのマンホール


ペンシルロケットをはじめ、歴代のロケットが紹介されている。マンホールは歩道沿いに短い距離で設置されていて、この下に何が通っているんだろうというのが気になった。

日本の宇宙開発発祥の地顕彰碑


1955年にペンシルロケットの水平発射実験が国分寺で行われた。2006年4月1日を期して50周年を記念してこの碑を建てた。2005年に子供たちが夢見た未来のロケットや50年後へのメッセージがタイムカプセルに収めて碑の下に埋められている。2055年4月吉日に掘り起こされる予定だ。

電車開通記念碑


電車開通札之丘十五年記念道路碑。
この後、国分寺駅に戻りゴール。しかしあの像を見るために、国分寺駅からバスに乗って移動するのだった。

桜通り広場公園


今回の駅ハイはここの写真が撮りたいがために参加したと言っても過言ではない。この日撮った写真の1/6がこの広場の写真だ。中央のポールを支える童子は桜を支えていたというが、枝がすでになくなっており、謎状態になっている。これはこれで妙味がある。

走る童子


せんとくんで知られる籔内佐斗司氏の作品だ。さわやかとは言えないが、ユーモラスな一面も合わせ持つは作品は、ほかにない独自の境地に至っており他の追随を許さない。もっと有力な公園に設置されていてもおかしくないが、あえてこの広場に置かれていることに収まりの良さがある気がしてならない。