江戸ウォーキング32 幕末の激動の跡をとどめる旧中山道第一の宿場
タイトル画像は近藤勇墓所の近藤勇像。
板橋駅スタート
駅ビルは工事中だった。
近藤勇墓所
案内板によると近藤勇斬首の後、首は京に送られ胴体はこの場所に埋葬されたそうだ。近藤勇の墓は東京都三鷹市の龍源寺、福島県会津若松市の天寧寺の他にいくつかあるらしい。
観明寺
真言宗豊山派。板橋七福神の恵比寿様を祀る。
板橋観光センター
板橋の観光案内、資料展示がある。
板橋本陣跡の碑
江戸から十里と近く、本陣への宿泊は少なく休憩施設として用いられていたそうだ。
板橋
板橋の地名は鎌倉から室町時代の古文書にあり、江戸時代には宿場の名に、明治には町名、昭和7年に板橋区が誕生した。昭和7年に自動車の普及に対応するためコンクリート橋になった。現在の橋は昭和47年に架けられたものだ。
縁切榎
江戸時代にこの場所の反対にあった武家屋敷の榎がいつの頃からか縁切り榎と呼ばれるようになったそうだ。由来不明でそう言われるなんて風評被害もいいところだと思うが、江戸時代はどういう受け止め方をされていたのだろう?
板橋本町駅ゴール
暗くなってしまった。
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